祇園祭 巡行する鉾〔ギオンマツリのホコ〕

長刀鉾写真 長刀鉾 [ナギナタボコ]

四条通烏丸東入る長刀鉾町

毎年、山鉾巡行の順番を決めるため「くじ取式」を行いますが、長刀鉾は「くじ取らず」で必ず巡行の先頭を行きます。現在、人の稚児が乗る唯一の鉾です。鉾先に疫病邪悪をはらう長刀をつけていて、前懸および胴懸はインドや中国などの絨毯です。

函谷鉾写真 函谷鉾 [カンコボコ]

四条通烏丸西入る函谷鉾町

鉾名の由来は、中国の戦国時代、斉の孟嘗君(もうしょうくん)が泰の国を逃れ函谷関に着きましたが、この関は早朝の鶏の鳴き声で開く規定なので、家来に泣き声をまねさせたところ、本物の鶏が和して鳴いたため、門が開き見事通りぬけたという故事によります。時を超え、世界中から集められた優れた装飾品の多い鉾です。なかでも重要文化財の前掛は函谷鉾の至宝です。

綾傘鉾写真 綾傘鉾 [アヤガサボコ]

綾小路通室町西入る善長寺町

鉾の非常に古い形態を残す傘鉾の一つ。大きな傘と棒振りばやしの行列で構成しています。赤熊(じゃぐま)をかぶった棒振りが、鉦(かね)・太鼓・笛にあわせて踊り、祇園ばやしより大きな響きでテンポが早く小気味よいものです。
昭和48年頃から復興の機運が高まり、町内の人々の努力と壬生六斎(みぶろくさい)会の支援で同54年に復興しました。

月鉾写真 月鉾 [ツキボコ]

四条通室町西入る月鉾町

鉾頭に新月型(みかづき)をつけ、真木の「天王座」には月読尊を祀っています。円山応挙筆の屋根裏の草花図、天井の源氏五十四帖扇面散図など、山鉾の中でも特に豪華な鉾です。前懸のメダリオン絨毯は17世紀インド製の優品。軒桁、4本柱などの飾金具はいずれも見事なものです。

鶏鉾写真 鶏鉾 [ニワトリボコ]

室町通四条下る鶏鉾町

中国・堯の時代、天下がよく治まって太平が続き、訴訟用の太鼓が不要になり鶏が巣を作ったという故事を題材にした鉾です。幕末の人形ならではの大人びた風貌に、鶏を飾った天冠を戴く稚児人形も必見です。
真木の『天王座』は船形で、海上の守護神である住吉明神が祀られています。

四条傘鉾写真 四条傘鉾 [シジョウカサボコ]

四条通西洞院西入る傘鉾町

昭和60年、117年ぶりに本体が再興され巡行に復帰しました。傘の上に御幣と若松を飾るのが特徴で、応仁の乱以来の傘鉾の原形を伝えます。棒振り踊りの構成は、棒振り2人と鉦(かね)・太鼓・ササラ各2人の計8人の子供からなります。

菊水鉾写真 菊水鉾 [キクスイボコ]

室町通四条通上る菊水鉾町

町内の金剛能楽堂内に古くからあった『菊水井』にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の菊花を付けています。
稚児人形は菊水の井戸にちなみ、菊の露を飲んで長寿を保ったという謡曲『枕慈童』(観世流や梅若流では『菊慈童』と称し、100年後の後日物語ともいうべき『枕慈童』がある)の能装束の舞姿です。

放下鉾写真 放下鉾 [ホウカボコ]

新町通四条上る小結棚町

『放下』とは禅語では『ほうげ』と読み、妄念や物への執着を捨て、俗世を解脱する意です。
この鉾の創建当時、街頭で手品や曲手鞠などの修練を要する芸を見せて人を集め、仏法を解く『放下僧』という人々がいて町の人気者でした。この放下僧を鉾の趣向にし、天王座に放下僧を祀ったことからこの名で呼ばれています。

船鉾写真 船鉾 [フネボコ]

新町通綾小路下る船鉾町

古事記や日本書記に書かれた神功(じんぐう)皇后は臨月であったにもかかわらず、凱旋までは皇子が産まれぬように祈願して、男装で海戦して勝利し、無事に皇子をお産みになったという神話から、鉾全体を船の形にしています。鳥居の帆柱のイメージを残す2本の幟(のぼり)が風にはためく姿は軍船らしく壮大で、かつ秀麗なシルエットを誇っています。

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