紅葉 ・・・ | |
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天長元年(824)に高尾山寺と、和気清磨呂が建立した河内の神願寺が合併して、神護寺になりました。また、唐から帰朝した空海が14年間住持していたことでも知られています。現在の諸堂は大師堂(重要文化財)を除き、応仁の乱で焼失したために江戸時代以後に再建されたものです。
日本でも有数の紅葉の観光地は、かなり急な石段を15分ほど登った場所にあります。高雄山の山腹にそびえる山岳寺院で、清滝川に架けられた朱色の橋を 渡ると目の前に仁王門がそびえたちます。地蔵院の庭からの眺める錦雲渓と呼ばれる渓谷がとにかく絶景で、汗だくになりながら石段を登った苦労もこのためならばと納得することでしょう。
ここからは「かわらけ投げ」という遊びが楽しめ、訪れた人たちの多くが遠投にチャレンジしています。建物のほとんどは江戸時代の再建ですが、金堂の薬師如来立像や、多宝塔の五大虚空蔵菩薩などが、貞観時代(866年~)の真言密教芸術の粋を感じさせます。また、国宝の梵鐘は「三絶の鐘」と呼ばれ、日本三名鐘の一つです。
栂雄(とがのお)の高山寺、槙尾の西明寺と並んで京都の紅葉の代名詞となっています。
(取材日:1995年)
五大堂
門をくぐり、真直ぐ進むとこの五大堂にあたります。叡山の最澄や空海が招かれたこの神護持は、平安仏教の発祥の地となりました。
(取材日:1995年)
金堂
左の五大堂前の石段をあがると境内でもひときわ高いここにたどり着きます。応仁の乱で焼失してしまいましたが、昭和10年に山口玄洞居子の寄進で新築されました。
(取材日:1995年)
大師堂(重要文化財)
弘法大師は唐より帰朝されて後、14年間もここに住持ちされておられました。境内で唯一応仁の乱の兵火を逃れた建物は重要文化財に指定されています。
(取材日:1995年)
かわらけ投げ
かわらけ(小さな素焼)投げは厄除けのご利益というのが言い伝えですが、ほとんどの人はイベントとして楽しんでいます。眼下に広がる錦雲峡はまさに”千仞(せんじん)”いう形容がピッタリの大渓谷です。
(取材日:1995年)
紅葉の庵
神護寺の良さはこのように完全な絵葉書にならない自然の素朴さだと思います。この庵も何百年の時を経てきたのでしょうか。
(取材日:1995年)
紅葉と金堂
金堂からは朝の静寂の中、経を唱える声だけが紅葉の木々にこだまします。
(取材日:1995年)
紅葉に包まれる境内
落ち着いた色彩の紅葉に包まれる境内。
(取材日:1995年)
自然の景観
山寺という表現がぴったりの神護寺ですが、周りのこうした紅葉も化粧なしの素顔のままです。
(取材日:1995年)
かわらけ投げから見下ろす
かわらけ投げの場所から山々の紅葉を見下ろした景色です。
(取材日:1995年)