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十輪寺は、嘉祥3年(850)文徳天皇が染殿(そめどの)皇后の世継ぎ誕生を祈願された所で、後に清和天皇がご誕生されたことから、勅願所となりました。その後、藤原北家が帰依して一統の菩提寺となりました。特に、平安時代の歌人、在原業平が晩年ここで隠棲し余生を過ごした場所として有名で、別名「業平寺」などとも呼ばれています。
こじんまりとした、幽玄な雰囲気の漂うお寺です。
本尊は、伝教大師作の延命地蔵菩薩で、等身大木製のその座像の御腹に巻かれた腹帯で染殿皇后が安産されたことから、腹帯地蔵尊と称され、現在も子授や、安産を願う人の信仰を集めています。本堂は応仁の乱で焼失した後、新たに寛延3年に再建されたもので、屋根は鳳れん形という御輿を模った非常に珍しいもので、内部天井の彫刻も独特の意匠が施され、文化財指定となっています。
本堂から茶室に向かう高廊下の横に三方普感の庭とよばれる庭園は、見る人、 見る位置によっていろいろに形を変えるとされ、石の形など、ある人は「カエル」ある人は、「熊」に見えるなど、その奥深さに見入ってしまいます。
また、ここに安置されている草分観世音は、花山法皇が、西国三十三番札所を再興されたとき、背負われた観世音をここに納められたと言われ、おいづる観音とも呼ばれて、西国三十三番霊場詣での者は一番初めにお参りしなければならないとされています。法皇の御手判も寺宝です。
(取材日:1995年)
本堂
独特の屋根をした本堂。荘厳というより古刹といった感じでしょうか。
(取材日:1995年)
なりひら楓
秋には見事な色付きを見せる、通称なりひら楓。
(取材日:1995年)
業平の墓
その昔、六歌仙として才能を遺憾無く発揮した在原業平。いまここに静眠されています。
(取材日:1995年)
手枕の庭
三方普感の庭を御殿から眺めたところ。立ってもよし、座って見てもよし、しかし、手枕で見るのが一番よしとされているそうです。
(取材日:1995年)
三方普感の庭
高廊下より庭を眺めたところ。見るか場所によってずいぶんと感じが変わるものです。
(取材日:1995年)
なりひら愛用の塩釜
業平が塩焼きの風情を楽しんだと伝えられる釜。当地の小塩はこの故事に由来しているそうです。
(取材日:1995年)