秀吉を祀る豊国神社は、豊臣氏滅亡後、家康に取り壊されてしまいましたが、現在の建物は明治13年に再建されたものです。参道の唐門は、伏見城の城門の一つを移築したもので国宝。また、境内には秀吉夫人・北政所を祀る摂社貞照神社や秀吉の遺品を展示する宝物館などがあります。
豊国神社の北隣に建つのが方広寺で、秀吉が奈良東大寺の大仏殿を模して建てたものです。大仏は奈良の大仏より大きいものであったといわれていますが、地震で破壊され、その後再建されたものも災厄によって失われ、いまでは大仏も大仏殿もなく、残っているのは豊臣家を滅亡させる口実となった問題の大鐘が残っているのみです。この大鐘、家康が秀頼と淀君に勧めて再興させた大仏とともに鋳造したものですが、そこに刻まれた「国家安康君臣豊楽」の銘が「家康の名を2分して国安らかに豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ」意味だと家康を怒らせ大阪冬の陣が起きるきっかけとなったものです。
(取材日:1995年)
方広寺の大梵鐘
痛烈な歴史が刻まれている大鐘。
(取材日:1995年)