紅葉 ・・・ | |
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松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人、向井去来の草庵で、元禄4年(1691)には芭蕉がこの草庵に滞在し、『嵯峨日記』を記したと言われています。
当時、庭にあった40本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちてしまったことから落柿舎と呼ばれるようになりました。
現在の庵は京都の俳人、井上重厚が再建したものです。
当時、去来が庵にいることを知らせるためにしていたように、今でも土間の壁には蓑と笠が掛けられています。落柿舎から北100mほどの路傍には「去来」とだけ彫られた向井去来の墓があります。
のどかな田園風景にしっくりとなじむ、わら葺の建物です。
(取材日:2010年11月)
田園風景
まるで日本昔話のような景色が広がります。
(取材日:2010年11月)