紅葉 ・・・ | |
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もとは嵯峨天皇の離宮でしたが、貞観18年(876)嵯峨天皇の皇女・正子内親王の発願により寺院となりました。鎌倉時代には後嵯峨、亀山、後宇多上皇などの歴代の法親王が院政を敷き、嵯峨御所とも呼ばれていました。また、南北朝騒乱の時代には南朝方の御所となり、元中9年(1392)には南北統一の講和会議が開かれました。
かつては平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池のほとり、ゆるやかな曲線を描く山を背に大覚寺は建っています。もともと嵯峨天皇の離宮として建てられただけに寝殿造りそのままの建造物には随所にその豪華さがしのばれます。
「正寝殿」は桃山時代のもので、内部には嵯峨蒔絵と呼ばれる典雅な桃山式の蒔絵がほどこされています。正寝殿と渡り廊下で結ばれている「宸殿」には狩野山楽の筆による豪華な襖絵、紅梅・牡丹の図があります。また御影堂の裏手には「収蔵庫」があり、ここには大覚寺所蔵の宝物がおさめられています。
(取材日:1995年)
心経宝塔
(取材日:1995年)
大沢池
(取材日:1995年)