桜 ・・・ | |
紅葉 ・・・ | |
※このCHARTは、取材者の主観に基づくものです。 |
※このサイトの情報は、弊社が独自に取材したものです。
詩仙堂の最新情報は公式サイトをご覧ください。
※情報に誤りがある場合は、お問合せからご連絡下さい。
大阪夏の陣で抜け駆けをして軍律違反の罪に問われ文人の世界に入った、徳川家康の家臣であった石川丈山が寛永18年(1641)に造営し、31年間隠棲した庵です。丈山は90歳で没するまで、ここで清貧を旨とし、聖賢の教えを自分の勤めとし、寝食を忘れてこれを楽しみました。またその一方で、「皇室スパイ説」や「徳川方皇室見張番説」などといった興味深い話も残っています。
詩仙堂の名の由来は、中国の漢晋唐宋の詩歌36人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上にそれ等各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた“詩仙の間”を中心としているとこらから呼ばれます。入口に立つ小有洞の門、参道に立つ老梅関の門、建物の中に入り猟芸巣・躍淵軒の各部屋、仏間の上には嘯月楼と呼ばれる望楼、前面には、石砂にツツジと山茶花の古木を配した庭園などがあり、時折響く、添水(鹿おどし)の音が丈山の風雅を今に響かせてくれます。
毎年5月25日から数日間、「遺宝展」として丈山の遺品や書など多数の品々が一般公開されます。
◇添水◇
石川丈山が猪や雀をおどすために考えたといわれ、鹿おどしの別名があり、竹筒の中央を固定させ、筒に水を引き入れて、水の重みによって傾きその弾みで石を打ち音を出すしかけになっています。
(取材日:1995年)
詩仙の間
建物の名の由来にもなっている4畳半の居間で、中国の詩仙36人の額が掲げられています。
(取材日:1995年)
添水
静けさの中、コーンと快い音…思わず丈山の世界に引きこまれそうになります。
(取材日:1995年)
庭園
5月下旬の「さつき」、秋の紅葉の時期が特に見応えがあります。庭に下りて散策することができるのも嬉しいです。
(取材日:1995年)