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元和元年(1615)本阿弥光悦は、徳川家康から拝領した鷹ヶ峰の地に一族縁者や工芸職人とともに移り住み、光悦を中心とするいわば芸術村を営みました。その芸術村の足跡を象徴するのが光悦寺です。
楓が天を薄くおおう境内には光悦の意気が感じられる太虚庵、光悦の像を安置する三巴亭、了寂軒・本阿弥庵など7つの茶室が散在しています。また太虚案前にめぐらされている垣根は、「光悦垣」と呼ばれ、ゆるやかに孤を描いて背が低くなり、牛の寝た姿に似ているところから臥牛(がぎゅう)垣ともいわれています。
緑の多いひっそりとしたお寺です。
◇本阿弥光悦◇
江戸初期随一の文化人。家業の刀剣の鑑定、研磨のほか絵画、陶芸、書道、作庭などあらゆる分野に優れていて独創的な才能を発揮した人。
(取材日:1995年)
光悦垣
竹を斜めに組んだ独特の垣根です。垣根の内露地には石燈篭と手洗水があり、今も昔を 偲ばせています。
(取材日:1995年)
三巴亭
本堂に通づる回廊の下をくぐり北山杉の木立を行けば右側に古池があり、その池の前方にあるのが三巴亭です。
(取材日:1995年)
太虚庵
光悦歿後、廃滅しましたが、大正4年に現在のものに復興されたとのことです。
(取材日:1995年)
了寂軒
太虚庵茶席の前方にあるのが了寂軒茶席です。
(取材日:1995年)
本阿弥庵
遥かに京都市内を見下ろす場所に建てられています。
(取材日:1995年)