三十三間堂の東向いにあるこのお寺は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室・淀君が、父の浅井長政の追善のために建てたお寺です。後に焼失してしまいましたが、淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の中御殿を移構して再建。以来、徳川家の菩提所となっています。
養源院の見どころは、本堂の左右と正面の三方の廊下の天井にある、伏見城落城の際に自刃した鳥居元忠らを供養している血天井です。血痕が生々しく残っており、手の指の後や人の姿など見てとることができます。また方丈には、俵屋宗達作の襖絵と杉戸絵(重要文化財)があり、これも伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれたものと伝えられています。杉戸の象や獅子や麒麟などを図案化した構図は、表現の奇抜さでも知られています。
(取材日:1995年)