本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれていますが、正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院です。もともとは後白河上皇の離宮・法住寺殿の一角にありましたが、長寛2年(1164)上皇が平清盛に命じてここに造らせました。五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇っていましたが、 度重なる震災ですべてを損失し、現在残っている本堂は文永3年(1266)に再建されたものです。
三十三間堂の見どころは、長大な堂内をびっしりと埋め尽くすようにして立つ千手観音像です。本像の千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50列で500体ずつ千手観音立像が整然と並んでいる様は圧巻です。この1001体の観音像、正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」といい、頭には11の顔をつけ、両脇には40本の手を持ち、1本の手が25種類の世界で救いの働きをし、40を25倍して「千手」を表しています。千一体の観音像は、仰いだ角度のまま自然に一つ残らず拝めるように安置されており、その中には「会いたいと願う人の顔が必ずある」と伝えられています。
◇柳のお加持◇
正月の初水をご本尊の霊力にて7日間ご祈祷し、霊木とされる柳の枝でこの法水を参拝者に灌いでお加持する法要で、後白河上皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな行事です。
(取材日:1995年)
通し矢
江戸時代、お堂西側の外縁では120mの軒下を一昼夜で何本の矢を射通すかという「通し矢」がさかんでした。 現在でも1月中旬に新成人たちによる全国弓道大会が催されています。
(取材日:1995年)
池泉
鎌倉時代の造園法によって再現されたものです。
(取材日:1995年)