花園上皇が康永元年(1342)に離宮の萩原殿を禅寺に改めて、関山慧玄を開山とし妙心寺となりました。桃山時代以後、武士層の崇敬を受け、諸大名が帰依しました。
築地塀に包まれた広大な境内には敷石の参道が延び、南の勅使門より山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並び、浴場・経蔵がひかえるさまは、禅宗の七堂伽藍の風格を持ち合わせており、47院を数える塔頭とともに、壮大な景観をつくっています。足利義満に弾圧され、応仁の乱に焼かれながらも、臨済宗妙心派の本山として、細川氏らの武将、豊臣、徳川家の諸大名らの帰依を受けて復興しました。また、法堂の鏡天井に描かれた 「八方にらみの竜」(狩野探幽作)、日本最古の梵鐘、明智光秀供養の「明智風呂」と呼ばれる浴室など、見どころや話題がたいへん豊富です。
(取材日:1995年)
明智風呂
明智光秀供養のために設けられた浴室で、公開されているので見学することができます。
(取材日:1995年)