相国寺の北にある上護霊神社は、平安遷都の折りに非業の死をとげた早良親王(さわらしんのう)の御霊を鎮めるため、桓武天皇の勅願により御霊を祀る社とされました。のちに光仁天皇殺害の容疑で投獄された井上内親王、謀反を企てた首謀者として捕らえられ伊豆に流された橘逸勢(たちばなのはやなり)らいずれも無念の死を遂げた8人の神霊を合祀し、祭神八所御霊とされました。
また応仁元年(1467)ここに陣を敷いた畠山政長と義就の合戦が起こり、これが応仁の乱の発端となりました。鳥居のそばには「応仁の乱発祥の地」の碑が建っています。
上御霊神社という社名は下御霊神社に対応するもので、現在は宗教法人としての正式名を「御靈神社」とされています。
古社の風格漂う閑静な神社です。
(取材日:1995年)
境内
荘厳な雰囲気の漂う境内には鳥居・楼門・拝殿などが建ち並んでいます。また社殿は御所の賢所の寄進を受けて造営されたものだそうです。
(取材日:1995年)
芭蕉句碑
元禄3年(1690)に芭蕉がこの地を訪れたときに詠んだ歌が境内の松尾芭蕉の句碑に記されています。
(取材日:1995年)