大徳寺は、鎌倉末期の元応元年(1319)に禅林の双璧と称された大燈国師によって創建され、それ以後政治権力の流れと深くかかわりあってきました。花園上皇、足利政権、信長、秀吉と権力者が変わるたびに「五山」に列せられたり、「十刹」からはずされたり、菩提寺として遇せられたり、その評価が著しく上下しました。
紫野の一角を占め、不思議な上品さの漂う洛北随一の大寺院です。
とんちでおなじみの一休和尚や、沢庵和尚が住まわれた所でもあります。境内には禅宋建築の典型といわれる勅使門・山門・仏殿・法堂・唐門(国宝)・方丈などが南北一直線上に建っています。また、千利休が唐様山門の上に「金毛閣」を造り、自分の木像を置いたために、秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたというお話は有名です。
秀吉が信長の葬儀を営み、寺領を寄進し保護したので、諸大名が競って塔頭を建立し、白壁の掘に囲まれた中には22もの塔頭があります。それぞれに枯山水の名園や由緒ある茶室など室町から江戸時代にわたる多くの文化財を持っています。しかし、常時拝観が可能な寺は、龍源院・瑞峯院・大仙院・高桐院のわずか4院です。
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栞いろは歌 禅のことをもっと…
(取材日:1995年)