桜 ・・・ | |
紅葉 ・・・ | |
※このCHARTは、取材者の主観に基づくものです。 |
※このサイトの情報は、弊社が独自に取材したものです。
寂光院の最新情報は公式サイトをご覧ください。
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聖徳太子が推古2年(594)に用明天皇の菩提を弔うために創建されたものですが、平家物語の悲劇のヒロイン、建礼門院(平徳子)が余生を送ったところとしても有名な尼寺です。壇の浦の合戦で平家はことごとく滅び、建礼門院は幼い安徳天皇を抱いて入水しましたが、一人源氏に助けられます。その後、都に戻った建礼門院は寂光院の傍らに庵を結び、わが子・安徳天皇と平家一門の冥福をひたすら祈ったといわれています。そんな建礼門院を哀れんで後白河法皇がここを訪れたといわれていますが、それが有名な「大原御幸(おおはらごこう)」です。
境内には本堂・書院・弁天堂が建ち、汀(みぎわ)の池・汀の桜・翠黛山など平家物語にちなんだものが多く、寂光院門前のそばには建礼門院の庵跡や、建礼門院がおぼろ月夜に姿を映したといわれている朧の清水などもあります。
平成12年、火災によって本堂や本尊(重要文化財)が損傷し、現在の本堂および本尊は平成17年に復元されたものです。
(取材日:1995年, 2007年6月)
石段
この石段を上っていくと、本堂が見えてきます。
(取材日:2007年6月)
千年姫小松
建礼門院と後白河法皇がこの松の下で対面されたそうです。
火災によって痛んでしまい、平成16年にとうとう枯死してしまいました。
(取材日:2007年6月)
朧の清水
境内とは少し離れた参道の途中にある小さな泉です。行きはうっかり見落としてしまいましたが、帰り道で見つけることができました。
(取材日:2007年6月)
焼損前の本堂
内陣内の柱は平家物語当時のもので、床は秀頼卿によってはられたものです。
※この本堂は焼損前のものです。本堂は平成17年に再建されました。
(取材日:1995年)
焼損前の勅額
本堂に掲げられている勅額は秀頼卿によって寄進されたものです。
※この本堂は焼損前のものです。本堂は平成17年に再建されました。
※現在(2007年6月)は、本堂内は撮影禁止です。
(取材日:1995年)
焼損前の本堂
おばあさんが、マイク片手に内陣内や庭の説明をしてくださいました。
(取材日:1995年)
焼損前の千年姫小松
小さいお庭ですが、平家物語当時のあわれに美しい名残りを止めています。平家物語にちなんで池泉を「汀(みぎわ)の池」というそうです。
※この庭園は焼損前のものです。
(取材日:1995年)